こころ ほどけゆく

眼ある人は盲人のごとく 耳ある人は聾者のごとく 知慧ある人は愚鈍なる者のごとく 強い者は弱い者のごとく

いまいま

「 生きているということ
     いま生きているということ
 それはのどがかわくということ
 木もれ陽がまぶしいということ
 ふっと或るメロディを思い出すということ
 くしゃみすること
 あなたと手をつなぐこと

 生きているということ
 いま生きているということ
 それはミニスカート
 それはプラネタリウム
 それはヨハン・シュトラウス
 それはピカソ
 それはアルプス
 すべての美しいものに出会うということ
 そして
 かくされた悪を注意深くこばむこと

 生きているということ
 いま生きているということ
 泣けるということ
 笑えるということ
 怒れるということ
 自由ということ

 生きているということ
 いま生きているということ
 いま遠くで犬が吠えるということ
 いま地球が廻っているということ
 いまどこかで産声があがるということ
 いまどこかで兵士が傷つくということ
 いまぶらんこがゆれているということ
 いまいまが過ぎてゆくこと

 生きているということ
 いま生きているということ
 鳥ははばたくということ
 海はとどろくということ
 かたつむりははうということ
 人は愛するということ
 あなたの手のぬくみ
 いのちということ  」

( 「生きる」 谷川俊太郎   )  




いまいまが
いま
うまれる
ということ

いまいまが
いま
しぬ
ということ

いまいまが
いま
あらたに
うまれる
ということ

いまいまが
いきるの
すべてだ
ということ


なあむ

きずつけたきず

「私の今いるところは陸地であるとしても波打際であり、
 もうすぐ自分の記憶の全体が、海に沈む。
 それまでの時間、私はこの本をくりかえし読みたい。

 私は孤独であると思う。それが幻想であることが、
 黒川創のあつめたこの本を読むとよくわかる。
 これほど多くの人、そのひとりひとりからさずかったものがある。
 ここに登場する人物よりもさらに多くの人からさずけられたものがある。
 そのおおかたはなくなった。

 今、私の中には、なくなった人と生きている人の区別がない。
 死者生者まざりあって心をゆききしている。

 しかし、この本を読みなおしてみると、わたしがつきあいの中で
 傷つけた人のことを書いていない。
 こどものころのことだけでなく、八六年にわたって傷つけた人のこと。
 そう自覚するときの自分の傷をのこしたまま、この本を閉じる。
          二〇〇八年八月十九日         」

     (『悼詞』(鶴見俊輔)あとがき より)



せんじょうで
てきへいを
あやめろと
じょうかんに
めいれいされれば
じしを
えらぶと
けついしていた
つるみしゅんすけは

きせきてきに
てきへいを
ひとりも
あやめることも
しいられず
しゅうせんを
むかえる

そして

しょうがいで
きずつけた
ひとびとのことを
わすれず
じぶんのなかに
きずをのこしたまま
しをむかえた

わたしにも

(ひとを)きずつけた
(わたしの)きずが
すくなからず
とげとなり
のこっている


なあむ

かくご

「念仏は、
 まことに浄土に生まるる
 たねにてやはんべるらん、
 また地獄に堕つる業にてや
 はんべるらん、
 総じてもって存知せざるなり。
 たとい法然聖人に
 すかされまいらせて、
 念仏して地獄に堕ちたりとも、
 さらに後悔すべからず候。」
        (『歎異抄』)


いのりには
いってんのまよいも
あっては
なりません

ねんぶつには
ぜんそんざいを
かけねば
なりません


なあむ
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