「論主(ろんじゆ)の一心(ゐちしむ)ととけるをば
曇鸞大師(どむらんだいし)のみことには
煩悩(ぼむなう)成就(じやうじゆ)のわれらが
他力(たりき)の信(しん)とのべたまふ」
(『高僧和讃』155 )
(天親が浄土論の初めにみずから
(『高僧和讃』155 )
(天親が浄土論の初めにみずから
「われ 一心に」と説かれたその一心は、
曇鸞の論註の解釈によれば、
煩悩具足のわれらが救われる
他力の信心であるといわれる。)
( 岩波文庫『親鸞和讃集』名畑應順校注 )
てんじんぼさつが
( 岩波文庫『親鸞和讃集』名畑應順校注 )
てんじんぼさつが
じょうどろんのはじめに
「われいっしんに」
ととかれた
そのいっしんは
ぼんのうぐそくの
われわれが
すくわれる
たりきのしんじんである
といわれている
なあむ