こころ ほどけゆく

眼ある人は盲人のごとく 耳ある人は聾者のごとく 知慧ある人は愚鈍なる者のごとく 強い者は弱い者のごとく

2014年10月

わたしのへいわ、せかいのへいわ

せかいのへいわ


これが

じつげんするには

せかいに

たちはだかる

もんだいが

あまりにも

おおすぎて

おもすぎて

なにができるかさえ

わからない

わたしは

じぶんのむりょくを

まざまざと

おもいしらされます



しかし、まてよ

せかいの

へいわを

じつげんするまえに

わたしは

わたしのへいわを

じつげんしなければ

ということにきづきます


なによりもさきに

わたしは

わたしのへいわを

じつげんしなければ

ならないのです







わたしのへいわを

わたしが

じつげんできさえすれば

つぎは

しゃかいの

さいごは

せかいの

もんだいに

とりくんでいける



ときがたち

いまのわたしは


わたしのへいわを

じつげんすることと

せかいのへいわを

じつげんすることとは

おなじことだと

かくしんするように

なりました


わたしに

へいわがあるとき

せかいには

へいわがあり

せかいに

へいわがあるとき

わたしには

へいわがあります


わたしが

わたしのへいわに

あせをながすとき

わたしは

せかいのへいわのために

あせをながしているのです


さべつするこころ

わたしには

けっしてないと

ゆだんする

わたしのこころに

かくれている

さべつするおもい


わたしには

けっしてないと

きづかずにいる

わたしのこころに

ひそんでいる

さべつするきもち



さべつするこころを

みつけだしては

つみとり

きづいては

すてさる







さべつするこころが

なくなって

はじめて

すべてが

ひとしくかがやく

せかいが

めのまえに

あらわれてくる



くもりないせかいに

すむために

きょうも

あしたも

わたしは

さべつするこころを

せっせと

つみとり

せっせと

すてさる

いきはいのり

いきをするように

いつどんなときにも

いのりをささげる

じかくしなくても

やすむことなく

いきをするように

せつなせつなに

いのりをささげる


そのように

いのりを

じっせんしよう



きめたわたし






そのわたしが

ハッと

きづかされました


そうだ

いきは

それじしんが

さいしょから

いのり

そのものだったのだ


いきは

わたしを

いかすため

いっときもやすまず

わたしに

ささげられている

いのり

だったのです



わたしは

いのりに

いだかれて

いかされている

わたしは

いのりに

ささえられて

いかされている

ひとさまのやくにたつ

ひとさまの

やくにたちたい

だれかさんの

やくにたちたい



どんなひとにも

こういう

きもちねがいを

こころの

どこかに

ひめています


ごくあくひどうな

ひとのこころにも

ひじょうでつめたい

ひとのむねにも

こんなきもちが

やどっています






これには

ふかいいみが

あるに

そういありません


だれもが

こころのそこでは

たしゃ



じぶんとが

ばらばらに

きりはなされた

べつべつの

そんざいではなく

ほんとうは

わかちがたく

むすびついた

たったひとつの

いのちなんだ

ということを

きづいているから

なのかもしれません



ささいなことで

ひとさまの

やくにたつ

じぶんのしらない

だれかさんの

やくにたつ


なんて

ふしぎな

ことでしょう

なんて

ありがたい

ことでしょう

せいじつであれ

ひとに

せいじつであれ


だまされようとも

うたれようとも

あやめられようとも

ひとに

せいじつであれ



おのれに

せいじつであれ


きらうことなく

さいなむことなく

さげずむことなく

おのれに

せいじつであれ


いきとしいけるものに

せいじつであれ

きずつけることなく

こぼつことなく

あやめることなく

いきとしいけるものに

せいじつであれ





せいじつであれ

ひとに

おのれに

いきとしいけるもの

すべてに
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