こころ ほどけゆく

眼ある人は盲人のごとく 耳ある人は聾者のごとく 知慧ある人は愚鈍なる者のごとく 強い者は弱い者のごとく

2019年01月

ありのまま

ひとに
すのまま
ありのままの
じぶんが
みられることを
なぜ
ひとは
いやがり
はずかしがるのだろう?

ありのまま
いじょうに
みられるほうが
よほど
こっけい
だというのに

いっそのこと
ありのまま
いかに
みられるのを
わらって
うけとめておればいい

それくらいで
ちょうどいい


なあむ

しょあくまくさしゅぜんぶぎょう

「ばんにんの
 ためになすを
 ぜんといい
 ひとりの
 ためになすを
 あくという」
 (「このよのなかはおもしろや」でぐちひでまろ)


もろもろの
あくをなさず
もろもろの
ぜんをおこない
こころを
きよらかにせよと
むかしから
ほとけさまは
といておられる

それでは
ぜんとはなにか?
あくとはなにか?

ぜんあくを
みわけるのは
よういではない

おのれを
わすれきって
すてきって
むがとなったとき
ひとは
あくをはなれ
ぜんにちかづき

おのずと

ばんにん
(いきとしいけるもの)
のために
なすようになり
ひとり
(じぶんひとり)
のために
なさぬようになる


なあむ

ひとごとわがこと

じぶんは
しあわせであるけれど
ひとのふこうは
じぶんとはかんけいのない
ひとごとで
わがことではない

じぶんは
ひんしていないけれども
ひんこんは
じぶんのせいではない
ひとごとで
わがことではない

じぶんが
まきこまれていない
せんそうは
とおいくにのことで
ひとごとで
わがことではない

などということは
けっしてありえない

ひとりひとりの
こうどう
おもい
いのり
すべてが
わかちがたく
つながりあい
えいきょうしあって
せかいは
そんざいしている

このことに
わたしが
からだで
こころで
ぜんしんで
きづかされますように


なあむ

しょうじきものはばかをみる?

「むかしから
 しょうじきものはばかをみる
 っていうよね」

「そうですね
 でも
 ばかをみた
 しょうじきものって
 あったことがないなあ?」

「どこかに
 いるんじゃないの?」

「そもそも
 しょうじきものだと
 じしんのあるひとって
 いるんですかね?」

「。。。」

「しょうじきものだと
 おもいあがっていたり
 しょうじきものになれない
 じぶんに
 きづいたひとは
 いくらでもいるような
 きがするんですけど」

「それで?」

「そのしょうじきものになれない
 ひとのなかの
 なんにんかが 
 ハッと
 しょうじきものはけっしてばかをみない!
 って
 きづかされたんじゃないかと。。。」


なあむ

ゆうひ

「ぼくのひたいのうえで
 ゆうひがあそんでゐる
 ほかにだれもゐないから
 ぼくのひたいのうえだけで
 ゆうひはだまって
 おとなしくあそんでゐる
 こんなかおをしてゐては
 ほんたうにわるいとおもふ」
 (「きょうのゆうひ」くしだまごいち)


うまれたての
あかんぼう(あさひ)は
かがやいていて
それだけでまぶしい

としおいた
ろうじん(ゆうひ)には
つつみこむ
ひかえめなやさしさがある

きょうもいちにち
のぼるあさひを
あおいで
なむあみだぶつ
てんちょうのひるのひの
ひかりのもとあせしてはたらき
なむあみだぶつ
しずむゆうひに
つつまれくつろぎ
なむあみだぶつ


なあむ
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