「私の今いるところは陸地であるとしても波打際であり、
 もうすぐ自分の記憶の全体が、海に沈む。
 それまでの時間、私はこの本をくりかえし読みたい。

 私は孤独であると思う。それが幻想であることが、
 黒川創のあつめたこの本を読むとよくわかる。
 これほど多くの人、そのひとりひとりからさずかったものがある。
 ここに登場する人物よりもさらに多くの人からさずけられたものがある。
 そのおおかたはなくなった。

 今、私の中には、なくなった人と生きている人の区別がない。
 死者生者まざりあって心をゆききしている。

 しかし、この本を読みなおしてみると、わたしがつきあいの中で
 傷つけた人のことを書いていない。
 こどものころのことだけでなく、八六年にわたって傷つけた人のこと。
 そう自覚するときの自分の傷をのこしたまま、この本を閉じる。
          二〇〇八年八月十九日         」

     (『悼詞』(鶴見俊輔)あとがき より)



せんじょうで
てきへいを
あやめろと
じょうかんに
めいれいされれば
じしを
えらぶと
けついしていた
つるみしゅんすけは

きせきてきに
てきへいを
ひとりも
あやめることも
しいられず
しゅうせんを
むかえる

そして

しょうがいで
きずつけた
ひとびとのことを
わすれず
じぶんのなかに
きずをのこしたまま
しをむかえた

わたしにも

(ひとを)きずつけた
(わたしの)きずが
すくなからず
とげとなり
のこっている


なあむ