こころ ほどけゆく

眼ある人は盲人のごとく 耳ある人は聾者のごとく 知慧ある人は愚鈍なる者のごとく 強い者は弱い者のごとく

ちりをはらいて

「ちりをはらいて
 あかをのぞかん」


ひとが
ひととして
くらすかぎり
まいにち
ちりは
たまり
ぼんのうは
しょうじます

そのちりを
うまず
はらい
そのぼんのうを
たゆまず
はらうことで

ひとは
いつかめざめ
おだやかに
きよらかに
あんのんに
くらせるようになります

ばかで
おろかだと
ののしられた
しゅり・はんどくや

ほうきを
てにした
てんさいバガボンの
れれれのおじさんは

わたしの
ともであり
わたしの
しです


なあむ

むいやしまず、うおごらず

「ない
 というなやみに、
 ものを
 あたえるのみが
 じひだろうか。
 
 もしそうなら、
 あたえるものに
 けんいが
 くわわりすぎる。
 
 なくてもよい
 きょうちを
 あたえることが
 できたら、
 さらに
 てっていした
 じひだとおもう。

 それは
 しをおそれぬ
 きょうちである。
 
 えいえんに
 いきさすことであり、
 おひかりを
 みせることである。
 
 すると
 ものもつものに
 おとらぬこととなり、
 それらを
 すくわれるために
 ささげたくなる。
 しをおそれぬものは
 よういにしなぬ。」
 (「アジアをおもう」にしだてんこう)


わたしが
もつものを
ひとさまに
わけて
さしあげるのは
かんたんなことで
なくとも
できないことではない

ならば
なにひとつ
ものをもたぬ
わたしは
なにを
ひとさまに
さしあげることが
できるのか

む(なにひとつもたぬ)を
いやしむことなく
う(なんでもある)を
おごることのない
きょうちを
いのちをかけて
さしめすことだと
てんこうさんは
といている

ふつうの
じひと
てっていした
じひとには
てんちのさがある


なあむ

どこへでもいってみるがいい

いきたくなったら
どこへでも
いきたいところに
いってみるがいい

やりたくなったら
どんなことでも
やりたいことを
やってみるがいい

だれだって
そのきに
なりさえすれば

どこへでも
いけるし
どんなことでも
できるものだ

そして
いつか

どこへ
でかけても
どこにも
でかけずとも
なにを
やりとげても
なにひとつ
やりとげずとも

“わたし”が
なにも
かわっていないことに
きづくことだ


なあむ

へいわないちにち

とくべつに
なにごとも
おこらない
へいわないちにち

かくごさえあれば
わたしにも
こんな
いちにちが
すごせるようになる

わがみに
おこりくる
なにごとにも
いっさい
とらわれることなく
けっして
ひきずられることなく
てばなして
いきさえすれば


なあむ

めざめる

ゆめから
めざめる

だけでは
じゅうぶんでは
ありません

うつつから
めざめる

これが
しんに
たいせつなことです


なあむ
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