こころ ほどけゆく

眼ある人は盲人のごとく 耳ある人は聾者のごとく 知慧ある人は愚鈍なる者のごとく 強い者は弱い者のごとく

せかいのしあわせ

「世界がぜんたい
 幸福にならないうちは
 個人の幸福はあり得ない」
(『農民芸術概論綱要』(宮沢賢治)より)



ちりぢり
ばらばらに
されたかにみえる
ひとびとのなかで
なんにんかのひとが
しあわせであり
なんにんかのひとが
ふしあわせである

というような
しあわせのありかたは
ありえない

せかいじゅうのなかで
もしたった
ひとりのひとでも
しあわせでないとしたら
ほかのすべてのひとは
ほんとうのいみで
しあわせではないのです

しあわせとは
ひとりや
ふたりや
すうにんの
ひとびとにおこる
ものではなく
ぜんせかい
ぜんうちゅうで
どうじに
あまねく
おこることなのです

ということは

ひとりのひとが
しんに
しあわせであるとき
せかいじゅうは
しあわせに
なっているのです


なあむ

めいわく

だれだって
ほんとは

だれにだって
ほんとは

めいわくを
かけたくないのです

でも

やまいをえれば
きぼうどおりには
いきていけず

つらくかなしいときは
どうしていいか
わからなくなり

としをとれば
じぶんだけでは
くらせなくなるのです

こんなときは
まようことなく
ひとさまに
たすけをもとめ

おもいきり
めいわくを
かけたら
いいのです

めいわくを
かけて
もうしわけない
という
おもいさえあれば

めいわくを
かけてくれて
ありがとう

という
いつくしみの
おもいを
まわりに
うみだして
いくのです

めいわくは
むすうの
ありがとうと
むりょうの
いつくしみに
うまれかわって
いくのです


なあむ

いのちみじかし

「いのち短し
 恋せよ乙女
 あかき唇 
 あせぬ間に
 熱き血潮の 
 冷えぬ間に
 明日の月日は 
 ないものを」
  (『ゴンドラの唄』より)


ひととして
うまれたのだから
いせいを
おもい
こがれるのは
しぜんの
ことわりである

しかし
じんせいは
ここで
おわらない

こいする
いせいの
さきに

みをおしまず
いのちを
すててでも

おいもとめたい
ものが
あらわれくる


なあむ 

いきるために

「全体が生きるなら
 自分が死んでも本懐でないか、
 自分も他人もただ水面に偶然生じた
 泡沫のようなもので
 その泡沫に執着するのは
 全体たる水を知らぬためである。
 死んだとて何物も消え去るのではない、
 生きようと思わわば死ねという言葉は、
 上のように解釈して差支えはない。
 無理に他をしのいで生きることは死ぬることである。
 運命を天に任せて、食えなければ本体に還ればよい。
 死ぬとは迷妄から離れよとのことで、
 悟れば全体が自分なのである。」
(『懺悔の生活』(西田天香)「転機」より)



しんでしまえば
ひとは
いきてゆくことが
できない

しかし

しんに
いきるためには
ひとは
“しぬ”
ひつようがある

かりそめの
いのちを
“すてた”とき
はじめて
とわの
いのちが
かがやきだす


なあむ

やすらぎ

いまの
じぶん

ありのまま
すのままの
じぶんを

このまま
ありがたく
ありがたく
うけいれる

これさえ
できたら

ひとは
いつ
なんどきも
やすらぎの
なかにいこう


なあむ
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