こころ ほどけゆく

眼ある人は盲人のごとく 耳ある人は聾者のごとく 知慧ある人は愚鈍なる者のごとく 強い者は弱い者のごとく

ちっぽけなまま

こんなに
ちっぽけな
(といじけそうな)
わたし

こんなに
なさけない
(とひねくれそうな)
わたし

こんなに
どうしようもない
(とふてくされそうな)
わたし

しかし

このままの
ありのままの
わたしが

いま
ここに
いきている

いま
ここに
いかされている

この
まばゆい
じじつに
きづきさえすれば

ちっぽけな
ままで
どうしようもない
ままで
なさけない
ままで
かまいはしない

なんどでも
なんどでも
ありがたく
ありがたく
てをあわせる


なあむ

ばれいしょ

「二十八年間
 私はここで何をしていたというのだろう

 あの日 私は中学制服に鞄一つさげて
 ハンセン氏病療園に入った

 盲目の人 全身腫物に爛(ただ)れた人
 ゆがんだ鼻
 一つ鍋をかこんだ軽症な友人
 松林の蔭での読書
 耕せば
 陽光と影は私によりそって揺れ
 緑も萌えた

 友の多くを失い
 私は病み衰えた
 だが 渇きに飲む水は甘く
 妻は側らにあった

 私は一層 前かがみになり
 短くなった指で 草をむしった
 畑からころがり出てくる馬鈴薯に微笑んだ
 生命へのいとしさをまし
 友への懐かしさをつのらせた

 ――空は一つの尾根であった
 光は一つの形を生む力であった
 空気は一つのことばであった

 唯みずからの生活を咀嚼するしか
 すべての問にこたえる途はなく
 このありのままの姿こそ その応答に等しいのだ

 あの日の涙をとかした風が
 今も この地上に立っている私の周辺に吹いていた」

(『島の四季 志樹逸馬詩集』より(二十八年間))



まだ
あどけなさののこる
しょうねん
だっただろう
いつまが
ハンセンびょうを
わずらってから
しをむかえるまでの
ときのながれ

みじかくなった
ゆびで
いつまが
ばれいしょに
ふれて
みつめていた

かけがえない
いのち
いとおしい
いのち

わたしは
すべての
こんげんにある
このいのちに
ふれることが
はたして
できているだろうか?


なあむ

わたしとのつきあいかた

「神は
 すべての生きものに
 宿っておいでになる。
 しかし、
 お前たちは善い人びととだけ、
 親しくしたらよいのだ。
 悪い心の人びとは避けるように
 しなければいけない。
 神はトラの中にもおいでになる。
 しかしそれだからといって
 トラを抱くわけにはいくまい。」
      (シュリ・ラーマクリシュナ)


わたしが
よきこころの
わたしを
ともとして
いきていけますように

わたしが
あしきこころの
わたしを
ともとせず
いきていけますように


なあむ

ゆび

「曲った手で 水をすくう
 こぼれても こぼれても
 みたされる水の
 はげしさに
 いつも なみなみと
 生命の水は手の中にある
 指は曲っていても
 天をさすには少しの不自由も感じない」
(『島の四季 志樹逸馬詩集』から「曲った手で」)



じぶんでは
まともに
うごくと
かってに
おもいこんでいる
ゆびで

わたしは

こころ
きよく
まよいなく
てんを
ゆびさすことが
できるだろうか


なあむ

さしあげる

わたしに
あるもの
すべてを
のこらず
ひとさまに
さしあげる

わたしに
できること
すべてを
のこらず
ひとさまに
させていただく

ああ
なんて
きもちが
いいことか
ありがたいことか

さしあげる
これだけでいい
させていただく
これだけでいい


なあむ
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