こころ ほどけゆく

眼ある人は盲人のごとく 耳ある人は聾者のごとく 知慧ある人は愚鈍なる者のごとく 強い者は弱い者のごとく

祈り

すべてになむあみだぶつ

すべてが
すまないことです
なむあみだぶつ

すべてが
もったいないことです
なむあみだぶつ

すべてが
ありがたいことです
なむあみだぶつ


なあむ

こころにさくはな

「はなを
 うつくしいと
 かんじるのは
 きみのこころに
 うつくしいはなが
 さいているからだ」
  (たてまつわへい)


うつくしいものを
うつくしいと
かんじられるこころは
いったい
いつ
はなひらくのだろう

やさしいおもいを
やさしいと
うけとめられるこころは
いったい
どうやって
はなひらくのだろう

すべてにたいし
ありがたさで
なみだするこころは
いったい
どうして
はなひらくのだろう


なあむ

じんせいにしっぱいなし

もし

わたしの
じんせいが
いみがなく
しっぱいだった

としたら

わたしを
つくりだした
せかいそのものも
いみがなく
しっぱいだった
ことになるだろう

かけがえのなく
うつくしい
せかいを
しっている
わたし

そのわたしを
いだくせかいが
しっぱいだとは
わたしには
とうてい
しんじられない

だから

どのように
おえようとも
すべてのひとの
じんせいに
しっぱいはなく
せいこう
せいこう
だいせいこうなのだと
わたしは
しんじている


なあむ

“わたし”

「 はやくはたらくこころは
 やんでいる
 ゆっくりはたらくこころは
 けんぜんである
 ふどうのこころは
 しんせいである 」
      (メヘル・バーバー)


わたしが
うちょうてんに
なっているときにも
わたしが
ごうきゅう
しているときにも
わたしが
げきど
しているときにも
わたしの
きがどうてん
しているときにも

じっと
うごかず
じっと
だまって
わたしの
そばにいる
“わたし”がいる

この
“わたし”に
であえたら

わたしは
うちょうてんに
なることも
ごうきゅう
することも
げきど
することも
きがどうてん
することも
なくなるだろう


なあむ

ゆうひ

「ぼくのひたいのうえで
 ゆうひがあそんでゐる
 ほかにだれもゐないから
 ぼくのひたいのうえだけで
 ゆうひはだまって
 おとなしくあそんでゐる
 こんなかおをしてゐては
 ほんたうにわるいとおもふ」
 (「きょうのゆうひ」くしだまごいち)


うまれたての
あかんぼう(あさひ)は
かがやいていて
それだけでまぶしい

としおいた
ろうじん(ゆうひ)には
つつみこむ
ひかえめなやさしさがある

きょうもいちにち
のぼるあさひを
あおいで
なむあみだぶつ
てんちょうのひるのひの
ひかりのもとあせしてはたらき
なむあみだぶつ
しずむゆうひに
つつまれくつろぎ
なむあみだぶつ


なあむ
ギャラリー