こころ ほどけゆく

眼ある人は盲人のごとく 耳ある人は聾者のごとく 知慧ある人は愚鈍なる者のごとく 強い者は弱い者のごとく

はるなつあきふゆ

はるのうみ
あぶらめ めばる 
のり わかめ みる
いひだこ さはら さくらだひ
はまぐり あさり さくらがひ
やどかり しほまねき
ひじき もづく いそぎんちゃく

なつのうみ
よづり いかつり
やくわうちゆう くらげ
きす あなご ちぬ
とびうを かははぎ べら をこぜ
いしだひ はまち おほだこ
いさき かんぱち ままかり
てんぐさ ふなむし ふのり

あきのうみ
あきあじ あきさば あきがつを
いわし さんま すずき
ぼら はぜ
しいら たちう さつば

ふゆのうみ
あんかう なまこ
ふぐ
ちどり
かも

しんねんのうみ
おほほしのはつわたり
はつひので
なぎ
こども
おとな
うみかぜ
かもめ

(「はる なつ あき ふゆ」大岡信 )


はるか
むかしから
にほんにあった

しき
おりおりの
うみ

たしゅたような
うみのいきものたち

ほうじょうなる
うみのさち

とわにある
いのちのかがやき


なあむ

はな(華)にこころうばわれているまに

「 わき目ふら
  華(はな)をつみ集むる
  かかる人をば
  もろの愛欲(たのしみ)に
  いまだ飽かざるうちに
  死はその支配(ちから)に
  伏(ふ)せしむ」
       (『法句経』第四品 華 48番  )


ののはなを
むちゅうになって
つんでいる
おさなごを

ちいめいよざいさんを
ちまなこに
おいもとめる
おとなを

しは

うむをいわせず
つれさっていく
すべてのこらず
つれさっていく


なあむ

すべてがすべてとつながって

「以上を総括して、
 筆者はユーラシア大陸の全土にあまねく分布する、 
 水神と牛馬との密接な結合なるものが、
 もと農耕社会の豊饒儀礼に占めた牛の中心的役割にはじまり、
 後に馬がこれらの農耕地域に進出してくるようになって、
 あるいは牛に替り、あるいは牛とならんで、
 河海湖沼の霊怪ともなれば、
 また水神への供犠獣ともなったものと解釈する。

 その個々の伝承の一致が、どこまで直接の伝播によるものであり、
 どこまで共通の文化的地盤の上に独自に形成された結果であるかは
 一々の場合について歴史的に探求されねばならないが、
 そこまでは立入らなかった。
 
 ただそのいずれの場合にも、
 これらの現象を通じ、人類の文化が時間的にも空間的にも、
 一個の〝連続した全体〟をなしている事実を確認することができるのである。
 そしてこのような文化史的認識を背景として、
 ふたたびわが日本列島にたち帰るな らば、
 本書の主題たる河童駒引伝説もまた、
 その本質においてユーラシア大陸全般 にわたる、
 水精と馬との結合を語る伝承の一類型にすぎぬことを知りうるであろう。

       (中略)

 以上の中には、もとよりその結論の尚早に過ぎるものもあり、
 また以上のほかに もなお問題の所在を提示したまま、
 その展開を将来にのこしたテーマはかなりに多い。
 だが今までにのべてきた範囲だけからみても、
 わが日本民族古来の伝承の多くの部分が、
 いかにアジアの周囲民族のみならず、
 ひいては、
 はるか遠隔の地の民族文化とも相交流しているかを知りうるであろう。

 このようにして日本民俗学の課題は、
 つねに比較民族学の方法をとりいれることによって、
 ことにその文化史的理解をたかめる。
 「江戸の日本橋より唐、和蘭陀(オランダ)まで、境なしの水路也」とは、
 幕末先覚の士の喝破したところであったが、
 人類の文化にも、また河川の流れ、大海の潮(うしお)にもにた一面があり、
 一見わが日本の山間僻地にのみ固有の小問題とおもわれる水怪河童の背後にさえ、
 わたつみの底深く、はるか地中海の海神ポセイドーンや、 
 北欧の水精ネッキなどと相通ずる何ものかの潜むことが証明されてくるならば、
 それは人類文化の連続的一体性に対するわれわれの視野、
 ひいては世界観全般の拡大の上に、
 裨益(ひえき)するところ少なからぬものがあろうと思う。」

       (『新版 河童駒引考』石田英一郎著「むすび」242-246頁より)


とくていの
ばしょ
とくていの
じだい
とくていの
ひとびとによって

つくられたものが
でんぱして
とおくとおく
とつくにの
ひとびとに
つたわっていき
ながい
ときのながれをへて
つながっていく

ひゃくねん
せんねん
まんねんのときをへて
すべてが
すべてに
つながっていく


なあむ

しにがみはきゅうにはこない

「人が病気になったり死ぬと
  「急に」「元気だったのに」と言われる。
 誰でも70年80年かけてゆっくりポンコツになっていき、
    ある時動かなくなる。
 車と同じだ。
 老化する事を知らないか、
 認めたくないと「急に」となる。
 人間が死ぬのに「急に」なんてどこにもない。
 ゆっくり何十年もかけて死ぬ。」
    (Twitter 2023/9/22 萬田緑平)


わたしたち
(げんだいじん)は
しぬことを
なぜいじように
いみきらうのだろう?

おいをかくし
やまいをきらい
しをちょくしないで

いきている
いみが
どこにあるのだろう

おいをうけいれ
やまいをうけとめ
しをともとして

うまれて
いきてきた
よろこびを
かなしみを
しみじみと
あじわえるようになる

しにがみは
きゅうに
やってきはしない

わたしたちが
うまれたときから
ずっとそばにいる


なあむ

はなをあいするひとは~

「一、春を愛する人は 心清き人
 すみれの花のような ぼくの友達

 二、夏を愛する人は 心強き人
 岩をくだく波のような ぼくの父親

 三、秋を愛する人は 心深き人
 愛を語るハイネのような ぼくの恋人

 四、冬を愛する人は 心広き人
 根雪を溶かす大地のような ぼくの母親」
   (「四季の歌」)



はずかしいはなしだが
きょうの
きょうまで

もとうたが
「しきのうた」
ということもしらず

きっと
どこかできいたのを
まちがって

「はなを
 あいするひとは~
 こころ
 きよきひと~」

とおぼえてしまい
くちずさんで
しきおりおりの
はなをながめて
くらしてきた

おぼえたかしは
まちがってはいたが
ないようは
まちがっていない

いままでに
であった

はなを
そだてているひと
はなを
みつめているひと
はなを
めでているひと
はなの
まわりにつどうひとは

れいがいなく
やさしいく
おだやかで
こころきよらかな
ひとばかりだった

これからも
はなをながめがら
わたしは

「はなを
 あいするひとは~
 こころ
 きよきひと~」

とくちずさんでいく


なあむ
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