こころ ほどけゆく

眼ある人は盲人のごとく 耳ある人は聾者のごとく 知慧ある人は愚鈍なる者のごとく 強い者は弱い者のごとく

悟り

ねばならぬではなく

ねばならぬ
という
おもいから
ときはなたれて

こころの
そこの
そこの
そこから
わいてくる

やらずには
おれない
せずには
おれない
うごかずには
おれない

なにごとかを
なしてゆく
よろこびは
ふかい


なあむ

のみのキンタマ

「しゅみは
 のみのキンタマにもあり
 しんりは
 ドブつぼにもころがっている」
 (『いきがいのそうぞう』(でぐちひでまる))


どこにいても
なにをしていても
そのきに
なりさえすれば
ひとは
だれでも
たのしむことができるのです

めのまえにきたるものを
そのままうけとめ
すなおにうけいれ
てをうごかし
あしをうごかし
からだじゅうをうごかして

しんのそこから
わらって
たのしんでいさえすれば
やがて
すべてが
てにはいるのです


なあむ

みかんせいでかんせい

「 いっさいういほう
    ゆめ・まぼろし・あわ・かげごとく
    つゆごとく、また、でんごとし
    まさにかくごときかんをなすべし 」
        (こんごうんにゃきょう)

しょぎょうむじょう
ということは

ものごとには
ついに
かんせいがない
ということでもある

いっしゅん
いっしゅんが
そのままで
かんせいしている
といいかえてもよい

みかんせいの
わたしも
みかんせいのまま
いまのいま
かんせいしているのである


なあむ

ひとごと

じぶんがしらぬ
ひとさまに
おきていることは
なにひとつ
じぶんには
かんけいがない

じぶんがしらぬ
とおいせかいで
おきていることは
まったく
じぶんには
かんけいがない


おもっていても
すべては
ひとつのこらず
じぶんに
ふかくみっせつに
かんけいしている

しらなくても
みえていなくても
きづいていなくても

せかいは
すべてが
つながりあい
えいきょうしあって
できていて
ひとごとなど
どこにもありえない


なあむ

ばかとりこう

あたまで
かんがえるのが
りこう

だとすれば

からだに
おまかせなのが
ばか

このしょうぶ
ぐんばいは
りこうに
あがりそうだが
そうは
とんやがおろさない

あたまは
からだの
ほんのいちぶにすぎない
ならば
からだぜんたいで
かんがえるのが
じょうとうにきまってる

りこうは
ばかを
けっして
ばかにしてはなりません
ばかは
いつでも
りこうのし(せんせい)なのです


なあむ
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